『GQuuuuuuX -Beginning-』のUC0079のパート、つまりファーストガンダムの時代。ファーストガンダムをリアルタイムに見ていた自分にとっては、第一話と同じような始まり方だったことに懐かしさを覚えた。
ガンダムでの「ホワイトベース」の艦名が「ペガサス」となっている点は興味深い。これはホワイトベースの企画段階の名称だったと記憶している。確認のために『機動戦士ガンダム 記録全集1』を見直したところ、やはりそう書かれていた。小説版ガンダムのWBも「ペガサス」だった。小説は出版された当時買って読んだが、手放した。Amazonの電子版のサンプルで再確認できた。ただし庵野氏がこの小説をどこまでリスペクトしているかは疑問が残る。
セイラ、つまりアルテイシアが登場し、ソロモン陥落に大きく貢献したと語られる。この歴史ではアムロがガンダムに乗ることができず、歴史上の重要人物にならなかったという設定なのだろうか。シャア自身がサイド7に偵察に出る時点が歴史の分岐点になったと思わせる演出だった。しかし、ホワイトベースの艦名がペガサスとなった分岐はその前のはずだ。
0079パートは案の定というか当然のことながら庵野演出が濃い。構図がオリジナルに近い場面も多く、ザクが爆発するシーンはまさに、あの見慣れたバンクカットの再現だった。宇宙空間で立ち姿のまま撃たれるという不自然さも、自分は意図的な演出として受け止めた。
01ガンダムとの戦闘は何かしらのオマージュがあるかと感じたが、元ネタが掴めなかった。
Amazonプライムで『機動戦士ガンダム』第一話を見てから、再びこの映画を見に行った。映画でシャアが自分が「運がよい」と言っているのは初見で違和感があった。運を気にする人でないので。ガンダムで「運が無い」といっているのと対比する演出だとわかり納得。
対比と言えば、シャアがソロモンへのグラナダ落下を防ぐ作戦に出るのは『逆襲のシャア』とは異なる人物像を描こうとしているのかと思ってみていると、結局は味方を謀って落下させるつもりだった。やはり彼は『逆襲のシャア』のシャア・アズナブルだ。
さらに対比の例として、キシリアがグラナダから退避しない決断をするのは、ガンダム最終話で陥落するア・バオア・クーから兵士を残したまま逃げ出す行動を意識しているのだろう。このキシリアの覚悟には感服した。
シャアとシャリア・ブルがワインを酌み交わすシーンは、妙に不穏な雰囲気が漂っていた。演出か、それとも意図的に怪しさを出していたのか。
シャアとシャリア・ブルがソロモンに突撃する際、二機とも無駄にスピンしながら突っ込んでいく様子に既視感があった。2回見て『トップをねらえ!』のシーンかなと思ったので、同作全6話を見直した。第5話で宇宙怪獣の大群にバスターマシン1号・2号が突撃するシーンのオマージュ的演出だったと思う。
「ペガサス」は強襲揚陸艦という位置づけで、ドックの壁を破るギミックとして左右の前方パーツが可動する仕組みが描かれていた。これより他の連邦軍艦と異なるデザインの説明がなされたのは、さすが。
BGMはオリジナルの楽曲が使われていて、懐かしくマッチしていた。
シャリア・ブルが、消え去ったシャアへの想いを語るモノローグにかぶせたBGM(ファーストガンダムの最初のアルバムで「虚無感」の名で入っている曲)は、このパートの締めくくりとして非常にふさわしかったと思う。懐かしいものを組み合わせて視聴者の心を揺さぶる、庵野演出を堪能した。
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